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Yoda Yoshikata
- Profile
- 依田義賢 1909年、京都市に生まれる。住友銀行勤務を経て、1930年日活太秦撮影所の脚本部に入り、翌1931年に公開されたサイレント映画『海のない港』がデビュー作品。1936年、第一映画に移籍し溝口健二監督の『浪華悲歌』でトーキー脚本デビューを果たす。以降、『西鶴一代女』(1952年)、『雨月物語』(1953年)など溝口健二監督作品の脚本を数多く執筆し、文芸映画の名手と謳われた。テレビドラマの脚本では、『八十郎始末』(1956年・NHK)、『都会の虹』(1958年・ラジオ東京=現TBS)、『あきのひとならば』(1959年・関西テレビ)、『紅のついた盃』(1961年・毎日放送)、『足は暖かかった』(1963年・朝日放送)、『どっちもどっち』(1965年・日本テレビ)、『庚午事変』(1977年・JRT四国放送)、他。脚色では近松門左衛門、井原西鶴、山崎豊子、今東光、山本周五郎、有吉佐和子などの作品を手掛けた。後年、大阪芸術大学映像学科教授、学部長を歴任。1991年11月、82歳で没した。
- Masterpieces
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出所
ビルの谷間
岐路