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新藤兼人(しんどうかねと)

プロフィール
新藤兼人 1912年、広島県生まれ。本名:新藤兼登。映画監督、映画脚本家として特筆される人物であると同時に、テレビドラマ界においては脚本のみならず、1950年に創設し会長を務めた制作会社「近代映画協会」が数多くの優れたテレビドラマを創出、貢献している。1934年、映画界に入り、新興キネマで脚本を書き始め、溝口健二監督に師事した。興和映画を経て1944年松竹大船撮影所に転じたが召集され、復員後本格的に脚本家として活動する。1950年松竹を退社。1951年に『愛妻物語』で映画監督デビュー、以降監督作品の受賞は枚挙に遑がない。テレビドラマ脚本では、『父』(1958年・NHK)、『再起』(1960年・フジテレビ)、『若ものたち』(1962年・NHK)、『わたしはもう歌わない』(1963年・RKB毎日放送)、『天皇の世紀』(1971年・朝日放送)などの脚本の他、脚色作品も多数ある。2012年5月、自宅にて老衰のため死去。満100歳だった。
代表作

死ぬほど逢いたい
恐山宿坊

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