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橋本忍(はしもとしのぶ)
- プロフィール
- 橋本忍 1918年、兵庫県出身。軍に入隊するや結核に、たまたま療養所で目にした「日本映画」という本から脚本家を志し、師事した伊丹万作の早過ぎる死、紹介された佐伯清監督から黒澤明監督の手に渡った『藪の中』の脚色シナリオ、映画化の打診、長編化のための『羅生門』との合体、1950年映画化された『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭グランプリ受賞…1951年に上京し専業脚本家となるまでの数奇な経緯である。黒澤明の脚本家ブレーンの一員を経て後、次々と日本映画の大作を手掛け、脚本家としての地位を確固たるものとした。テレビドラマでは、1958年の『私は貝になりたい』(ラジオ東京=現TBS)が当時の話題を独占した。1966年、制作会社CALの立ち上げにも参加し、同社制作の『剣』(1967年~1968年・日本テレビ)、『お庭番』(1968年・日本テレビ)には脚本だけではなく企画者としても名を連ねている。2018年7月、肺炎により自宅で死去。満100歳であった。
- 代表作
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私は貝になりたい
いろはにほへと
正塚の婆さん