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石堂淑朗(いしどう としろう)
- プロフィール
- 1932年、広島県生まれ。学制改革期に共学化に反対して高校を2年で中退し、大検に合格して1年早く広島大学に入学。しかし、そこも中退して東京大学文学部独文学科に入学する。卒業後は松竹大船撮影所に入社して助監督を務める。1960年「太陽の墓場」で脚本家デビュー。大島渚らと「松竹ヌーベルバーグ」と呼ばれた映画革新運動の中心的役割を果たすが、1961年に大島と共同脚本を執筆した「日本の夜と霧」が上映を打ち切られたため退社し、大島主宰の「創造社」の同人となった。その後、大島とたもとを分かち、テレビドラマの脚本を書くようになる。主な作品に、「マグマ大使」(1966年~77年・フジテレビ)、「帰ってきたウルトラマン」(1971年~72年・TBS)、「必殺仕掛人」(1972~73年・朝日放送)、「赤ひげ」(1972年・NHK)、「楡家の人びと」(1972年・NHK)、「子連れ狼」(1973年・日本テレビ)、「七瀬ふたたび」(1979年・NHK)などがある。2011年11月、79歳で没。
- 代表作